この空の青さも気の所為だ

ヨルシカのアルバム「だから僕は音楽を辞めた」に収録されている「八月、某、月明かり」
この曲の歌詞にある、「東伏見の高架橋、小平、富士見通りと商店街」これを目指してひとり出掛けた日の記録。

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n-bunaさんが昔実際に過ごしていた場所の風景や出来事を歌詞にしたこの歌、メロディや歌詞が本当に大好きなのでずっと行きたかった場所。八月…ではなく五月だけれど、気持ちよく晴れてそれなりに気温の高い日でした。

 

小平駅

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ここでは改札を出ずに、乗り換えのみ。でも電車から見えた町の景色がノスタルジックで素敵だったので、今度来たら降りてみたい。

 

そのまま電車で東伏見駅へ。

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南口を出て右手に向かうと、東伏見稲荷神社に向かう参道。線路を右側に見ながら道なりに進んでいくと閑静な住宅街に変わって、駅から10分ほどで神社に到着。

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想像していたよりも大きい鳥居!階段を登ってお参り。おみくじを引いて、御朱印もいただきました。

 

神社のすぐ隣にある東伏見公園。ここから線路を跨いでかかっているのが、歌詞に出てくる「東伏見の高架橋」なのではないかということらしいです。ということで

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(写真のセンスがない)

冒頭の写真もこの高架橋の写真ですが、歩いていてずっと青空が視野いっぱいに広がっている景色が気持ち良かったです。
公園は子連れの家族が遊んでいたり犬の散歩をしている人がいたり、のんびり歩いている老夫婦がいたり、地域の憩いの場のような感じ。大きく息を吸い込むと、新緑の爽やかな香りが全身を包み込むみたい。私ものんびりのんびり、公園を歩きました。

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(袋に入れられたままのエイミーと、高架橋)

 

東伏見駅のほうに戻り、駅に着く少し手前のところにある「りんとこーひー」さんにお邪魔しました。

店内でレモンケーキとアイスコーヒーをいただきました。アイスコーヒーは深煎り、中煎り、浅煎りが選べたのですが、店員さんが「レモンケーキにはフルーティーな味わいの浅煎りもおすすめですよ」と教えてくださったので、浅煎りに。

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ほろほろして甘酸っぱいレモンケーキと、さっぱりした浅煎りのアイスコーヒー、とっても美味しかったです…!歩いて疲れていたので、本を読みながらしばしまったり。

ご夫婦の店員さんはすごく優しくて、常連さんも多くいらっしゃっていたので、町の方々にたくさん愛されているカフェなんだなぁと、温かい気持ちになりました。アイスカフェラテをテイクアウトして、店員さんに「また来ます」と言いお店をあとに。

 

東伏見駅から隣の武蔵関駅までは歩いて20分弱ほどだったので、徒歩で向かいました。途中で通った武蔵関公園、池があってボートが漕げるみたい。
せっかくベンチがあったので、座って少しだけ本を読む。この日のお供は「アルジャーノンに花束を」。ヨルシカの影響で、初めて読んでいます。

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少しだけ差し込む木漏れ日と葉の音、池の水の音、鳥の鳴く声、歩く人の話し声…そのなかで本を読む時間、最高に幸せ。
普段外にいるときはイヤホンをして音楽を聴いていることが多いのですが、この日は町のいろんな音に耳を傾けて歩きました。この辺りは、どことなくゆっくりと時間が流れているように感じた。

 

武蔵関駅上石神井駅は隣同士ですが、歩き疲れてしまったので電車で。上石神井駅の南口を出ると、踏切とロータリー。中央通りへ進み、上石神井商店街へ。そのまままっすぐ歩いているとだんだん人も少なくなり、10分も経たずに富士見通りに出ました。

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ヨルシカのファンの中でコインランドリーと言ったらここだろう、という場所。
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「関町」とはここの辺りの地名。n-bunaさんはこの風景から歌を作ったんだな、と思いながら歩く。ここで折り返して駅に戻ります。

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かわいい

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駅前の様子を写真に収め、今度は「夜紛い」の時間帯に、夕焼けをバックにして撮りたいな、などと考えながら帰路に着きました。

「だから僕は音楽を辞めた」に書かれたn-bunaさんの記憶に残っている場所たち、その片鱗が伺えました。楽しかった!ヨルシカのファンの皆さんはぜひ足を運んでみてほしいです。

 

 

おまけ

実は最初、国立駅にある富士見通りが、歌詞に出てくる場所だと勘違いしていました……n-bunaさんのコラムを読み返したら違うと分かったのに…

つまり私は、小平駅に行く前に国立駅に降り立っていたわけなのですが、そちらもとっても素敵な場所だったので!

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こちらの富士見通りには雰囲気の良さそうなカフェがたくさんあったんですが、ゴールデンウィークということもあり開いているお店が少なく…またリベンジしたいと思います。

 

 

おまけ2

去年の10月、「ただ君に晴れ」のMVの撮影地である、富山県の雨晴に行ったときの写真もついでにちょっとだけ🤏

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本当に綺麗なところでした。

 

前世。

ヨルシカ LIVE 2023「前世」

 

2月9日に日本武道館で行われた公演に行ってきました。備忘録です。

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※ネタバレを含みます。

 

「前世」のセトリはこちらです。

 

今回のライブも物語とともに曲が展開されていく形でした。前回よりも朗読パートが長く、2時間と少しの時間で、曲とナブナさんの朗読が6:4くらいでしょうか。モニターには、朗読パートでは文章と場面に合わせたイラストが、曲中は新しく作られたリリックビデオが。

 

暗くなり静まり返った会場、ステージに現れたナブナさんは置いてあるベンチに腰掛けます。モニターには"Witten by n-buna"の文字。右後ろには、キービジュアルにも描かれている、赤い花をつけた一本の木。

ぽつりぽつりと、あの少し掠れた声で語り始めるナブナさん。一瞬で意識がそちらに集中する。

 

朗読① 緑道

語り手の女性はある緑道を歩いていると、鞄を忘れたことに気がつく。作ったサンドウィッチを持って彼と出かけるのが好きだったのに、どうして忘れていたんだろう。2人は今は離れて暮らしている。

「こんにちは。」「元気かい。」木漏れ日が心地良い、夏の匂いがする日。彼は最近よく見るという夢の話をし始める。独り言みたいに。
それは彼が、自分とは違う何かになる夢。鳥や花、虫や雲。見たことがないのに見覚えのある景色と、なぜだか感じる焦燥感。言うなれば、あれだ、

「前世。」

女性がそれを何度も反芻する。前世、前世。その言葉がひっかかる。「おかしな響き。」

 

01.負け犬にアンコールはいらない

それまでの静かさを吹き飛ばすくらいに突き抜ける楽器の音!suisさんの伸び伸びとした声!「ヨルシカのライブに来た!」と、気分が上がりました。まさかこの曲が一曲目にくるとは…。ラスサビの転調がまた気持ち良くてかっこいい。
suisさんは赤色のケープコートを纏っていてとても綺麗でした。間奏で身体を揺らしてノリノリになっていたのが印象的。かわいい〜

 

02.言って。

ノリの良い曲が続く。ですがこの曲は歌詞が…この段階で持ってくるのは何か意味があるのか?
「もっと、もっと」と繰り返すところのsuisさんの息遣いがすごかったです。この曲を生で聴くのは初めてだったので、音源との違いに本当に驚きました。ナブナさんもサビでハモリにいました!

 

朗読② 夜鷹

彼はある日、鳥だった。また独り言みたいな彼の話を、彼女は隣に座って聞いている。頭上にはあの赤い花。「綺麗だなぁ。」

彼は鳥になって、雲の間を抜けていく。虫を食べ、水浴びをする。ある時水に映った太陽に酷く心を動かされ、思わず飛び上がる。いつまで経っても近づくことのない太陽が、自分を笑っているようだった。抑えきれない衝動が溢れて止まらない。

彼はふと、自分が焦がれている太陽の光の正体は、「月光」なのではないか、と考える。

 

03.靴の花火

朗読パートからこの曲が来ることは予想でき、その段階から泣きそうだったのですが、いざ曲が始まると自然と涙が溢れていました。靴の花火はヨルシカの曲の中でも、本当に大好きな曲。
ギター、ベース、ドラム、ピアノ、どの音をとっても全部が温かくて、その音に包まれた会場は夕暮れ色に染まる。suisさんは低くて落ち着いた歌声を響かせたあと、サビでは主人公の憶いを溢れる感情のままに歌で、身体全体で表現する。歌の情景がありありと浮かぶ。圧巻でした。(この曲の間ずっと泣いていました…。)

 

04.ヒッチコック

アア〜〜〜この曲も2023年に生で聴けて良いんですか!?suisさんの少しかわいい声がたまらなく好きでした。サビの裏声の使い方もすごく綺麗。「青空だけが見たいのは我儘ですか。」で少し上を向いて歌うsuisさん。
ナブナさんのギターの音がとってもかっこよかったです。歌詞も大人になってわかる辛さが含まれていて、曲調とは裏腹に、切なくなってしまいました。
アウトロが音源よりも長くアレンジされていて、ノリノリでメンバーを見るsuisさん含め、チームヨルシカ最高〜〜〜。

 

05.ただ君に晴れ

ヨルシカ初期曲続きでオタクの情緒はボロボロです…。真冬に聴く夏曲、とても良いですね。この曲を物語の中に位置付けると、また聴き方が変わってくる気がします。
suisさんの声は音源よりも確実に力強く、なおかつ透き通っていました。「絶えず君のいこふ記憶に夏野の石ひとつ」音源では静かなパートですが、ライブでは全部の楽器の音が重なって重圧感がすごかったです。

 

朗読③ 虫、花

別の日、彼女は緑道の先のベンチで本を読む彼を見つける。「また来たのかい。」彼の手を借りて、隣に腰掛ける。彼はまた、夢の話をする。

彼は小さな羽をもつ虫だった。鳥がやってきて大きく口を開ける。空に連れていってくれるのだと思った。そしてある時は花であり、その花の蜜でもあった。種となって地面を転がる。

彼は人間ではない動物や植物、自然のものになる夢を語る。彼女はそんな彼を想像する。「散歩でもしようか。」彼は立ち上がる。

「リードは出来ないけど」

キザな彼の言い方に少し照れる彼女。彼は小さく、それでも気持ちよさそうに伸びをする。彼女は、彼の前世は猫でもあったかもしれない、とこっそり思った。

 

06.ブレーメン

イントロがアレンジされていて新曲?と思ったらこの曲のsuisさんの入りに綺麗につながりました…!ブレーメン、とっても楽しくて浮き足立つようでした。suisさんはユラユラと踊るみたいにリズムを刻む。会場全体もそのグルーヴに乗せられている感じ。ナブナさんと下鶴さんも目を合わせて楽しそうにギター弾いてました。
suisさんの「あっはっはっは」が本当に気持ち良いくらい軽快で…。「パドゥッドゥ」みたいなコーラスを楽器隊のみんなで歌っていたのですが、それもすっっごく良かった!これはライブで聴くべきだなぁと思いました。

 

06.雨とカプチーノ

ブレーメンからの繋ぎが大天才すぎました……マサックさんのとんでもなくかっこいいドラムソロから雨とカプチーノに移ったのですが、ま〜〜〜あ天才がやることですわ。みんな好きあれは。
この曲、キタニのベースがとても良く聴こえてきました。ラスサビ前のドラムもかっこよかった。ナブナさんが青っぽい色のギターを使っていたのこの曲だったと思うんですが、独特な奏法しててびっくりしました。雨とカプチーノはライブ映えしますよねすごく…!

 

08.チノカテ

ここの繋ぎもとっても良くて!はっちゃんさんの繊細なピアノのソロからチノカテの入りに繋がってました。ブレーメンからノンストップです。
suisさんの感情の入れ方がまたすごくて、歌詞にのめり込まされて鳥肌が立ちました。温かい曲調なのに、妙に心を締め付けられる。「あ、夕陽。」の後の静かさがライブだと余計に際立っていました。
2番のサビ前の、嘘月に入っているギターの音がすごく気持ちよかった。サビ前の「ルルル〜」っていうコーラスは、また楽器隊全員で。

 

朗読④ 魚

幕が降りてそこに映像が映る。ナブナさんはステージの端に座って語り出す。

正午を待たずに降ってきた雨。緑道を歩く彼女は、傘を忘れてきたことに気がついている。少ししてから彼がいつもの場所に現れた。随分と濡れた彼女に彼は驚いて、傘を差し出した後、彼女の髪をすく。彼女は、最後に髪を切ったのはいつだっただろうと場違いなことを考える。

道の先に高架橋が見えて、街灯が雨の暗さに勘違いをして灯っている。2人で歩きながら、彼は夢の話を始める。彼は魚だった。自由に岩の間をぬって泳ぎ、海底の砂で沐浴をする。

「魚だったころは良かった。あれはなかなか気持ちのいい生き方だった気がする。」

彼は、朝の海底に差し込む、ゆらゆらとした光が好きだったと言う。

「なんで言うんだろう、まるで」「まるで?」

「月光、みたいで。」

大きく映し出される「月光」の文字。ドキリとさせられる。彼は夢の中で様々なものになり、それの全てにどこか既視感があることを振り返る。そして、思い出したように呟く。

「昔、俺は人間だった、気がする。」

 

09.嘘月

幕が上がるとステージのセットが家の中の風景に変わっている。suisさんの衣装も白のワンピースに。そして、この曲から登場したストリングス隊。楽器隊もみんな座っての演奏。
座って歌うsuisさんの声があまりにも儚くて…アコースティックアレンジの嘘月、本当に良かった、今にも消えてしまいそうで。「君は夜になっていく」窓の向こうに見える大きな月のイラストが歌詞を引き立てる。

 

10.花に亡霊

これが本当に本当に素晴らしかった。バイオリンとヴィオラとチェロの音が重なって、suisさんの少し震えた透き通る声、それを包み込むようなピアノの音。ヨルシカの、こういう夏の切り取り方も大好き。
とにかく全てが綺麗で、感情が追いつかないまま泣いていました。ラスサビの「時間じゃなくて心を」の伸ばすところ、suisさんが少しアレンジを加えて歌っていたのが良かった。

 

朗読⑤ 桜

彼の家に入るのはいつぶりだろうか。懐かしい匂いがする。あの時とほとんど変わらない家具と小物。彼女はふいに棚にぶつかってしまい、そこに置いてあった写真立てが落ちてくる。キッチンからコップとお皿を持った彼が顔を出す。

「ごめんなさい、壊れてないかな。」「あ、これ。楽しかったなぁ。」

彼が拾い上げる写真立てには、大きな木をバックに写る男女の写真。彼と彼女だ。

ある秋の日、季節外れの暖かさが続いて狂い咲きの桜が咲いたというので、2人で見にいった。2人してちょっとしたレジャー気分で、サンドウィッチまで作って。けれどそこにあったのは、枯れ木同然の桜の木だった。

「嫌な予感はしたんだよなぁ。」

2人はなんだかおかしくなって、彼が途中で買ってきた少し小さいレジャーシートに腰を下ろした。2人で狂い咲きの桜を見上げた。

人生は勘違いの連続だ。全てを見て初めてそれを理解できるのに、一部分だけを見て判断してしまう。

「俺らが勝手に勘違いしたように、あの桜も、暖かさに勘違いをして花を咲かせたんだろう。」

あの頃に戻りたくても戻れない。後悔しても遅いのだ。未練がないと言えば嘘になると彼に伝えたら、彼はどんな顔をするだろうか。

 

11.思想犯

この流れでこの曲…めちゃくちゃ驚きました。アコースティック編成なので全然違う音になっていてすごかった…。suisさんは立って歌い始めます。suisさんの声も心なしか少し優しめに聞こえた気がする。低音の安定感が抜群すぎるsuisさん。
2番のサビで四季を歌うのがとても好きなんですよねこの曲。それからこの曲に限らないんですが、ナブナさんがギターを力強く弾くときに右足を後ろに曲げる仕草がかわいくて好きです。

 

12.冬眠

「歌わないかな〜歌わないか〜」とずっと思ってた冬眠、聴けたー!泣 これも四季を巡る歌詞なので、思想犯との繋がりを感じます。ブリッジパートの歌詞が本当に好きで、涙を堪えるのに必死でした。「君とだけ生きたいよ」という歌詞が、物語の2人を表しているみたいに思えます。
この曲と前の曲、順番は忘れたのですが、はっちゃんさんがアコーディオンと鍵盤ハーモニカを使っていたと記憶しています。音がとても素敵だった…。

 

朗読⑥ 青年

雨の音が響く部屋で、彼が作ってくれたホットミルクを飲む。彼女はソファに座って初めて、机の上に雑多に置かれた本たちに気がつく。

「俺は昔人間だった。若い青年だ。」

彼が本をめくりながら話すのを、彼女は黙って聞いている。彼は夢で見た異国の景色を探している。「不思議な感覚なんだ。当たり前だ、俺はこの国を出たことがない。」それなのに、その匂いまで分かりそうなくらいに見覚えのある景色。

それは西欧のどこかの国。海がある。…この国ではないと思う。……あとはここか。題には「フィンランドスウェーデンノルウェー」。

彼は夢の中で、ギターと旅行鞄を持って旅をしている。何か目的があった気がする。なぜだか酷く焦っている。見たものを歌詞やメロディーにして書き起こす。

私たち観客は知っている。これは、確実に「彼」が見たもの。前世と言う言葉で、話がつながっていく。

 

13.詩書きとコーヒー

ライブ初披露の曲。青年の苦悩を悲痛な声で歌い上げるsuisさん。「わかんないよ」この一言の力強さと言ったら…凄まじい歌声。
はっちゃんさんの激しいヘドバン炸裂!端にいるのに存在感がすごい。他のメンバーもノリノリな様子でした。

 

14.声

喉の奥にいる神様の話。優しいsuisさんの声が染み渡ります。ラスサビの静かなところで暗くなり、suisさんだけを鳥籠のようにレーザーが囲う演出。(月光再演でもあった演出です。)白いワンピース姿も相まって本当に美しかった…。

 

15.だから僕は音楽を辞めた

心臓の音のようなドラムの響きで、会場の空気がガラリと変わったようでした。ずっと握りしめていた両手を再び強く握り直す。苦しかった。だってこれは、誰がなんと言おうと、エイミーのお話だから。モニターに映る文字は、この曲だけ、エイミーの筆跡。
全てを出し切るみたいに歌うsuisさんの姿をただ茫然と見つめていました。歌という言葉で片付けていいものなのか、これは。楽器隊の熱量も最高潮でした。

 

朗読⑦ 前世

雨は止んでいた。彼女はいつの間にかブランケットをかけていた。お皿は薄く残ったホットミルク。彼は立ち上がってキッチンへと消える。

彼女は部屋を見渡す。あの時とあまりにも変わっていなさすぎる部屋。日付が止まった日めくりカレンダー。猛烈な違和感を覚える。

彼はキッチンから顔を出す。既視感がある。彼女には彼が次に言うことが分かる。2人でホットミルクを飲んでそれを片付けると、彼が決まって言うことだ。

「×××、おかわりはいる?」

彼は首を横に振りながらキッチンから出てくる。まるで致命的なミスをしてしまったかのような顔で。

彼は力が抜けたように椅子に腰掛ける。彼女は思わず声をあげる。けれど響くのは奇妙な音。

「大事だったんだ。」
「いつも俺ばかりが貰っているような気がして。」
「幸せだったんだ。」

彼女も同じだった。大切だったのに、どうして彼と離れてしまったんだろう。物理的な何かが邪魔をして、声が出せない。彼は大きくため息をついて言う。

 

「俺は犬相手に何を話しているんだろうな。」

 

暗転し、その文字だけがモニターに映る。会場全体が息を呑む。心臓が止まったような心地がした。

鏡を見て自分の姿を確認する彼女。彼女は犬に生まれ変わっていたのだ。彼が言った「リードは出来ないけど」の意味を理解する。リードではなく、リード(首輪)だ。彼女が勘違いをしただけ。

「どうして気がつかなかったんだろう。そうだ、私は犬だ。写真に写っているのは、人間だった頃の私だ。私が犬になる前の、私の」

 

「前世。」

 

16.左右盲

衝撃が抜けきらぬまま始まるこの曲。男女の普遍的な別れを歌ったという曲。勝手に離別かと思っていたけれど、普遍的な別れとは、死別でもあることに気が付きました。suisさんの震えが残る歌声に、心を大きく動かされます。
一曲で完結していると解釈していた曲が、この物語に合うように作られた曲のように思えるのです。訳もわからないまま涙していました。

本当に今回のマジの驚きポイントだったのですが、キタニタツヤがサビでsuisさんのオク下でがっつりハモっていました。あれナブナさん…じゃない!?キタニ!?と曲に似合わず大興奮(実はキタニも大好きでライブにも行っています…)。ハッキリと聞き取りやすく、でも優しく支えるような歌声でした。好きと好きの掛け合わせありがとうございました。

 

17.春泥棒

物語のラストを飾る曲。「言葉如きが語れるものか」この歌詞が最も似合う時間。

下鶴さんのアコースティックギター

「今日も会いにいく」からの流れ、ナブナさん、マサックさん、キタニ氏、下鶴さん、はっちゃんさん、ストリングス隊の順番で歌のないところを演奏していくのがとても感動的でした。

ラスサビ前の静かなパートで暗転し、suisさん以外には何も見えない。ラスサビに入り楽器の音が重なった瞬間、会場がパッと明るくなり、同時に発射されるピンクの紙吹雪。

あの瞬間の光景が、目の奥に焼きついて離れない。夢のような、幻想的な景色でした。目の前に広がるそれに、ただただ涙が溢れて仕方がなかった。「今、春仕舞い」

 

朗読⑧ ベランダ

彼はベランダに座って何かを見つめている。彼女が近づくと、彼はその優しい目を彼女に向ける。「切長のまなじり。私の好きだった目。」

「起きたかい?」
彼女は問う。「あなたは何をしていたの?」返事はない。

彼は私を抱き上げて言う。「見てごらん。」空を見上げると、少し欠けた月が浮かんでいた。満月ではないけれど、とろりとした大きな月。

「一緒に暮らそうか。君さえ良ければ。」

ナブナさんの語りに力が入る。

「あなたは知っているのだろうか。私が亡くなった日から止まったカレンダーを見たときの、私の気持ちを。」
「あなたは知っているのだろうか。あなたにとっては一瞬の思い出に過ぎないこの夜が、私にとっては忘れられない夜になっていることを。」
「あなたはいつかこんなにも美しかった夜のことを忘れてしまうのだろうか。」

彼女はたまらなく苦しくなって遠吠えをする。そして彼女は思い出す。

昔2人が魚だったとき、海の底から2人で見上げた、

月光を。

 

語りを終えたナブナさんと、座って語りを聞いていたsuisさんが立ち上がる。深くお辞儀をする2人。拍手が鳴り響く会場は、その瞬間ひとつになっていたように感じました。

 

終演後にヨルシカのTwitterから投稿されたツイート。

春泥棒のMVに出てくる犬は、彼女の生まれ変わりでした。視点は、生まれ変わったことに気が付いていない女性。

そして最後に降ってきた紙吹雪は、百日紅だったようです(私は2階席だったので気が付きませんでした)。物語に出てきた、別れの象徴である、あの赤い花。私たちはそれを桜だと思い込んで綺麗だと感じた。勘違いさせられました。
春泥棒は確かに桜を命に例えた曲ですが、今回のライブを踏まえれば本当に聴き方が全く異なってくる気がします。人生は勘違いの連続なのです。

それは春泥棒に限らず、です。最初の曲に「負け犬にアンコールはいらない」が選ばれた理由も、今なら分かります。点と点がつながったような感覚。ヨルシカはずっと、ある男女の出会いと別れを描いていた。

エイミーは海に沈む中で「生まれ変わってでも、君に会いに行かないと!」と叫んでいました。生まれ変わって会えたのに、彼女に先立たれてしまう。そして今度は、彼女が犬になって彼に会いにいく。
そんな2人の、月光を引き金とした物語。その象徴としての、百日紅。ヨルシカがつくる独特で脆い死生観に、心が惹かれて仕方ありません。

 

ヨルシカのライブは、物語そのものでした。ナブナさんの淡々としつつも、しっかりと男女の声に聞こえる語り。それを彩る音楽たち。これを「いちアーティストのライブ」と呼ぶには、あまりにも拙い。

suisさんはあの2時間の間、女性であったしまた男性であったし、鳥で花で魚で、雲や風で、エルマとエイミーで、そして前世に酷く焦がれる犬であったのです。

ヨルシカの曲を、もう一度じっくり聴き直してみようと思う。月と百日紅と、自分にもあったかもしれない前世に想いを馳せながら。

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追記

2023.02.13更新のn-bunaさんの後書きコラムを、私はきっと何度も読み返して、このライブの景色を繋ぎ止めておくのだと思います。

深い海の底にいる。

ヨルシカ LIVE TOUR 2022『月光 再演』

 

3月31日に東京ガーデンシアターで行われたツアーファイナルに、行ってきました。あの素晴らしい時間を言葉にするのは難しいですが、忘れないようにここに綴ろうと思います。

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前置きとして、私は今回初めてヨルシカのライブに行ったということ、今回のライブでキーとなる「だから僕は音楽をやめた」「エルマ」の初回限定盤についている詩を、ライブが終わってから読んだということ、そしてこの2つの作品を解釈しきれていないこと、ご理解いただければと思います…

 

『月光 再演』のセトリはこちらです。

 

波の音のみが静かに聞こえる会場、スクリーンに映し出された、桟橋の先に広がる海と月のイラスト、入場する際にもらった『月光』のあらすじが書かれた葉書…ライブが始まる前から物語に浸れるようで、胸が高鳴りました。

 

ブザーがなり、ある一瞬を描いたお話が始まりました。

「僕らは深い海の底にいる」

そんなn-bunaさんの語りから始まるPoetry-海底にて-。エイミーが桟橋から身を投げたすぐ後の語りでしょうか。

「僕らは鯨だ!」

だんだんと強くなっていく言葉と感情、それに比例するように、観客である私の身体の中からも、何かが湧き上がってくるような感覚でした。

「いつだって、欠けてしまった何かを、探している。」

「3月31東京ガーデンシアター、ヨルシカです」

 

その言葉と同時に掻き鳴らされるギターの音から始まるのは、夕凪、某、花惑い。歌い出すsuisさんのシルエットが見えて、演奏するバンドメンバーが見えて…。圧倒的な迫力に呆然として、気がついたら泣いていました。
ヨルシカの音楽をやっと生で聴けたからとか、歌詞や音楽に感動したからとか、そんな単純な理由ではなかったように思います。
一瞬で心を全て舞台に持っていかれて、ただ涙が溢れて仕方がなかったのです。
suisさんの力強い歌声が、全力なバンドメンバーの演奏が、ひたすらに心を震わせました。ラスサビ前からラストにかけては本当に圧巻でした。「花惑う 夏を待つ僕に差す月明かり」

 

「何もいらない」そのままの勢いで八月、某、月明かり。キーが少し下がっていました。ギターの音が特に響く間奏。suisさんの声により感情が乗ったような気がしました。「そんなの欺瞞と同じだ、エルマ!」
「君の人生は月明かりだ」この歌詞が、エイミーの手紙を読んだ今になって響きます。ラストの単語を連ねるパートは、suisさんの歌唱力の高さを見せつけられたようでした。

 

Poetry-関町にて-。再びn-bunaさんの語りが始まります。

「僕には、何、かが、足りない」

リズムに合わせて独特な調子で語っていたのが印象的な場面です。語り手の感情がつっかえて苦しそうな風にも聞こえました。

「君の人生で作品を作ろう。」

「作品の題は決めてある。『だから僕は音楽を辞めた』。」

「一年だ。この一年が、僕の一生だ。」

旅に出ることを決めたエイミーの言葉。
映し出される商店街やロータリーの映像。

 

藍二乗。今回のセトリの中でも、私はこの曲が特に好きなのですが、本当に聴けてよかった…。曲が流れた瞬間にまた泣いてしまいました。レーザーで会場全体が青く染まっていたのがすごく綺麗でした。間奏のギターとベースがたまらなくかっこよくて、身体中に響きます。
suisさんの最後の力強いロングトーンがとても綺麗で、イヤホンごしでは聴けない声の素晴らしさを感じました。
「エルマ、君なんだよ。君だけが僕の音楽なんだ。」「人生の価値は、終わり方だろうから」

 

軽快なリズムの神様のダンス。ピアノの音が目立ちます。「月明かりを探すのだ」という歌詞で上を見上げるsuisさんのみを黄色のライトで照らす演出は、観客全員が見惚れてしまったのではないかと思います。
n-bunaさんがコーラスに入っていたと記憶しているのですが、この曲からだったかな?

 

変わって、サビでのsuisさんのかっこいい歌声がクセになる夜紛い。「人生ごとマシンガン」サビで目立って重なるn-bunaさんの声が耳に残っています。サビの力強い歌声とは裏腹に、「バイトはしたくない」と歌うsuisさんの少し拗ねるような声がとても好きでした。

 

「言葉になりたい」

雨の音が聞こえるなか繰り広げられるPoetry-雨の街について-。エルマとエイミーが出会ったのは、雨の降るカフェテラス。そのシーンを観客たちが垣間見ているようでした。

「顔を上げると僕は、雨の滴るカフェテラスにいる」

 

その言葉を受けて始まるのが雨とカプチーノ。スクリーンには、カプチーノを飲みながら何かを書くエイミーの手元が映されます。手の動きに合わせて流れる歌詞、素敵な映像でした。ステージに設置された幾つかの窓のセットが淡く光り、まさに私たちが「雨の滴るカフェテラスにいる」ような演出でした。
ベースの音がズンズンと響くこの曲がたまらなく好きです。キタニタツヤ、ほぼ脚。「僕らに嵐す花に溺れ」からの音の重なりがすごく綺麗で…。

 

しっとりと聴かせる六月は雨上がりの街を書く。ぽつり、ぽつりと呟くように歌うsuisさん、サビに入ると一転するその声。「馬鹿馬鹿しいよ」と吐き捨てるみたいに。「縫い付けて」はひたすら繊細に、それでも芯のある歌い方に聴こえました。

 

雨がテーマの曲が続き、次は雨晴るる。エイミーを真似るエルマが、エイミーのことを想って書いた詩。この辺り、静かな雰囲気の曲が多くゆっくりと聴き入ってしまっていて、あまり覚えていないというのが正直なところです。悔しいな。

 

エイミーが自分自身を悼むようなPoetry-ヴィスビーにて-

「天国に一番近い場所を探していた。」

 

踊ろうぜ。軽快なドラムの音で空気がガラリと変わったようでした。虹色の照明が会場全体を染め、まるでダンスフロアに招かれたよう。suisさんは音に合わせて体を動かし、バンドメンバーも全身で音をかき鳴らしているみたいでした。あんなに激しくヘドバンしながらでも、ピアノって弾けるんだ…。
「自慢のギターを見せびらかした」で悪戯にn-bunaさんの方を向くsuisさん。ラスサビ前にギターの音のみが聴こえる場面、ギターを見せびらかすように高く掲げるn-bunaさん。今回のライブで、唯一笑みが溢れた曲でした。「ああもう、踊ろうぜほら」

 

その勢いを引き継いで始まるのが歩く。n-bunaさんのコーラスが特に聴こえてきたのがこの曲で、「確かめるように」「俯きながら」のハモリの綺麗さは圧巻でした。「それだけなんだ」の歌い方、音源よりもひと文字ずつがはっきり歌われていて、楽器とのハマり方が最高に気持ちよかったです。

 

心に穴が空いた。イントロのピアノの音で涙が滲みました。エイミーの生き方を模倣することしかできない、穴を開けられて苦しむエルマの感情を、どうしたらあんなに上手に歌い上げることが出来るんだろうか。「全部音楽のせいだ」の力強さと言ったら…。
「今ならわかるよ 『君だけが僕の音楽』なんだよ、エイミー」エルマもエイミーも、お互いの音楽だけが音楽そのものだったんですね。
映像は、スウェーデンの風景を撮った写真が一枚ずつ机に落ちていくというものでした。

物語が終わりに近づくことを感じさせるInst-フラッシュバック-。暗いステージの中、静かにバンドメンバーによる演奏が響いていました。
suisさんの後ろ姿が影のように現れ、美しいコーラスが聴こえてきます。微睡むようなその時間に、思わずため息が溢れました。

 

そして静かに始まるパレード。元々とても好きな曲だったのですが、ライブで聴いて、エイミーの手紙を読んだ今、よりこの曲が好きになったように思います。
suisさんの柔らかくて温かい歌声に、ただただ聴き惚れていました。suisさんのみを囲うカーテンのような白い照明は、「一人ぼっちのパレード」を表していたのでしょうか。繊細で触れれば消えてしまいそうな、そんな雰囲気でした。

 

海底、月明かり。水の底に沈んでいく、冷たい音。そこに差す月の光。今まで何気なく聴いていたインストが、こんなにも意味を持つとは思っていませんでした。

 

suisさんがセットの階段に腰掛けて歌う、憂一乗。この曲はsuisさんの透明感のある歌声の真骨頂だと思います…。「ずっと、ずっと」と切ない声で繰り返す、その姿を見て涙が止まりませんでした。
「こんな自分ならいらない」からのパートは苦し紛れな声が混じって、楽器の音の重なりもあり、何かが心にグッと押し寄せてくるような感覚になりました。

 

『エルマ』のアルバムのラストを飾るノーチラス。もうここまでくると私の感情はグチャグチャで、泣きっぱなしでした。1番までは座っていたsuisさん、2番に入ると覚束ない足取りでステージのセンターに歩いて行きます。その姿が、私の目にはエルマにしか見えなかったのです。
この曲のストーリー性の強さが、余計に観客の心を奪っていくようでした。

 

「僕は深い海の底にいる」

Poetry-走馬灯-。海の底に沈んでいくエイミーが見た景色が映ります。

「そうか、ずっと見えていたこの光は、」

私たちがこれまでのライブで見た景色は

「長い夢を見ていたようなこの時間は、全ては、」

 

「僕の見る走馬灯か」

 

これは、海に沈んでいく彼が最期に見た一瞬の、走馬灯の物語。

 

 

ラストを飾る曲は、だから僕は音楽を辞めた。エイミーの感情を、suisさんが歌い上げ、バンドメンバーが音で表現する。作品の終わり方はこうあるべきなのだと言わんばかりに。
全てをかけたように、命を削るように歌うsuisさんは、あの瞬間、彼が憑依していたかのようでした。「間違ってないよな、」ラストのロングトーンはエイミーの、そしてエルマの叫び。
その後のパートは、歌うという表現では足りない。そして私は、あのときを言い表す言葉を持ち合わせていない。エルマとエイミーの、ヨルシカの物語を、全身に打ち付けられた感覚でした。

 

 

会場に響く拍手と共に舞台からはけていくバンドメンバー。そして最後の語り、Poetry-生まれ変わり-。エイミーが最期に考えるのは音楽と、エルマのこと。

「ちゃんと分かってくれるだろうか、…分かってくれないだろうな」

 

「今更だ。今更、君に会いたいと思った。」

「生まれ変わってでも、僕は君に会いに行かないと」

 

「僕は今、瞼の裏に光を見ている。夜しか照らさない夜明けにも似た光」
彼が彼女に見出した無謬の光がこの作品を生み出し、最期まで彼を照らす。

 

「薄く眩しく淡い光とはとても思えない」

 

「月光を。」

 

深く深くお辞儀をして別々の方向に歩いていくsuisさんとn-bunaさんの姿が、エルマとエイミーの姿に重なりました。
これはエルマとエイミーの物語でもあり、ヨルシカの物語でもあったのかもしれないです。
美しく儚い走馬灯、たった一瞬の物語。言葉如きでは語れない、素晴らしい作品でした。本当にありがとうございました。

 

最後に、誰もいなくなったステージに、ある映像が流れました。
海外から届いたある木箱を手にした少女。蓋を開けるとそこには、「エルマに」の文字が書かれた手紙。

 

物語はここでおしまい。ですが、家に帰り会場で手に入れた『だから僕は音楽を辞めた』のアルバムを開けて、真っ先にその文字が見えたとき、気がつくのです。

自分が、エルマと全く同じ動きをしていたことに。

 

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