深い海の底にいる。

ヨルシカ LIVE TOUR 2022『月光 再演』

 

3月31日に東京ガーデンシアターで行われたツアーファイナルに、行ってきました。あの素晴らしい時間を言葉にするのは難しいですが、忘れないようにここに綴ろうと思います。

f:id:daybreak_218:20220405004355j:image

前置きとして、私は今回初めてヨルシカのライブに行ったということ、今回のライブでキーとなる「だから僕は音楽をやめた」「エルマ」の初回限定盤についている詩を、ライブが終わってから読んだということ、そしてこの2つの作品を解釈しきれていないこと、ご理解いただければと思います…

 

『月光 再演』のセトリはこちらです。

 

波の音のみが静かに聞こえる会場、スクリーンに映し出された、桟橋の先に広がる海と月のイラスト、入場する際にもらった『月光』のあらすじが書かれた葉書…ライブが始まる前から物語に浸れるようで、胸が高鳴りました。

 

ブザーがなり、ある一瞬を描いたお話が始まりました。

「僕らは深い海の底にいる」

そんなn-bunaさんの語りから始まるPoetry-海底にて-。エイミーが桟橋から身を投げたすぐ後の語りでしょうか。

「僕らは鯨だ!」

だんだんと強くなっていく言葉と感情、それに比例するように、観客である私の身体の中からも、何かが湧き上がってくるような感覚でした。

「いつだって、欠けてしまった何かを、探している。」

「3月31東京ガーデンシアター、ヨルシカです」

 

その言葉と同時に掻き鳴らされるギターの音から始まるのは、夕凪、某、花惑い。歌い出すsuisさんのシルエットが見えて、演奏するバンドメンバーが見えて…。圧倒的な迫力に呆然として、気がついたら泣いていました。
ヨルシカの音楽をやっと生で聴けたからとか、歌詞や音楽に感動したからとか、そんな単純な理由ではなかったように思います。
一瞬で心を全て舞台に持っていかれて、ただ涙が溢れて仕方がなかったのです。
suisさんの力強い歌声が、全力なバンドメンバーの演奏が、ひたすらに心を震わせました。ラスサビ前からラストにかけては本当に圧巻でした。「花惑う 夏を待つ僕に差す月明かり」

 

「何もいらない」そのままの勢いで八月、某、月明かり。キーが少し下がっていました。ギターの音が特に響く間奏。suisさんの声により感情が乗ったような気がしました。「そんなの欺瞞と同じだ、エルマ!」
「君の人生は月明かりだ」この歌詞が、エイミーの手紙を読んだ今になって響きます。ラストの単語を連ねるパートは、suisさんの歌唱力の高さを見せつけられたようでした。

 

Poetry-関町にて-。再びn-bunaさんの語りが始まります。

「僕には、何、かが、足りない」

リズムに合わせて独特な調子で語っていたのが印象的な場面です。語り手の感情がつっかえて苦しそうな風にも聞こえました。

「君の人生で作品を作ろう。」

「作品の題は決めてある。『だから僕は音楽を辞めた』。」

「一年だ。この一年が、僕の一生だ。」

旅に出ることを決めたエイミーの言葉。
映し出される商店街やロータリーの映像。

 

藍二乗。今回のセトリの中でも、私はこの曲が特に好きなのですが、本当に聴けてよかった…。曲が流れた瞬間にまた泣いてしまいました。レーザーで会場全体が青く染まっていたのがすごく綺麗でした。間奏のギターとベースがたまらなくかっこよくて、身体中に響きます。
suisさんの最後の力強いロングトーンがとても綺麗で、イヤホンごしでは聴けない声の素晴らしさを感じました。
「エルマ、君なんだよ。君だけが僕の音楽なんだ。」「人生の価値は、終わり方だろうから」

 

軽快なリズムの神様のダンス。ピアノの音が目立ちます。「月明かりを探すのだ」という歌詞で上を見上げるsuisさんのみを黄色のライトで照らす演出は、観客全員が見惚れてしまったのではないかと思います。
n-bunaさんがコーラスに入っていたと記憶しているのですが、この曲からだったかな?

 

変わって、サビでのsuisさんのかっこいい歌声がクセになる夜紛い。「人生ごとマシンガン」サビで目立って重なるn-bunaさんの声が耳に残っています。サビの力強い歌声とは裏腹に、「バイトはしたくない」と歌うsuisさんの少し拗ねるような声がとても好きでした。

 

「言葉になりたい」

雨の音が聞こえるなか繰り広げられるPoetry-雨の街について-。エルマとエイミーが出会ったのは、雨の降るカフェテラス。そのシーンを観客たちが垣間見ているようでした。

「顔を上げると僕は、雨の滴るカフェテラスにいる」

 

その言葉を受けて始まるのが雨とカプチーノ。スクリーンには、カプチーノを飲みながら何かを書くエイミーの手元が映されます。手の動きに合わせて流れる歌詞、素敵な映像でした。ステージに設置された幾つかの窓のセットが淡く光り、まさに私たちが「雨の滴るカフェテラスにいる」ような演出でした。
ベースの音がズンズンと響くこの曲がたまらなく好きです。キタニタツヤ、ほぼ脚。「僕らに嵐す花に溺れ」からの音の重なりがすごく綺麗で…。

 

しっとりと聴かせる六月は雨上がりの街を書く。ぽつり、ぽつりと呟くように歌うsuisさん、サビに入ると一転するその声。「馬鹿馬鹿しいよ」と吐き捨てるみたいに。「縫い付けて」はひたすら繊細に、それでも芯のある歌い方に聴こえました。

 

雨がテーマの曲が続き、次は雨晴るる。エイミーを真似るエルマが、エイミーのことを想って書いた詩。この辺り、静かな雰囲気の曲が多くゆっくりと聴き入ってしまっていて、あまり覚えていないというのが正直なところです。悔しいな。

 

エイミーが自分自身を悼むようなPoetry-ヴィスビーにて-

「天国に一番近い場所を探していた。」

 

踊ろうぜ。軽快なドラムの音で空気がガラリと変わったようでした。虹色の照明が会場全体を染め、まるでダンスフロアに招かれたよう。suisさんは音に合わせて体を動かし、バンドメンバーも全身で音をかき鳴らしているみたいでした。あんなに激しくヘドバンしながらでも、ピアノって弾けるんだ…。
「自慢のギターを見せびらかした」で悪戯にn-bunaさんの方を向くsuisさん。ラスサビ前にギターの音のみが聴こえる場面、ギターを見せびらかすように高く掲げるn-bunaさん。今回のライブで、唯一笑みが溢れた曲でした。「ああもう、踊ろうぜほら」

 

その勢いを引き継いで始まるのが歩く。n-bunaさんのコーラスが特に聴こえてきたのがこの曲で、「確かめるように」「俯きながら」のハモリの綺麗さは圧巻でした。「それだけなんだ」の歌い方、音源よりもひと文字ずつがはっきり歌われていて、楽器とのハマり方が最高に気持ちよかったです。

 

心に穴が空いた。イントロのピアノの音で涙が滲みました。エイミーの生き方を模倣することしかできない、穴を開けられて苦しむエルマの感情を、どうしたらあんなに上手に歌い上げることが出来るんだろうか。「全部音楽のせいだ」の力強さと言ったら…。
「今ならわかるよ 『君だけが僕の音楽』なんだよ、エイミー」エルマもエイミーも、お互いの音楽だけが音楽そのものだったんですね。
映像は、スウェーデンの風景を撮った写真が一枚ずつ机に落ちていくというものでした。

物語が終わりに近づくことを感じさせるInst-フラッシュバック-。暗いステージの中、静かにバンドメンバーによる演奏が響いていました。
suisさんの後ろ姿が影のように現れ、美しいコーラスが聴こえてきます。微睡むようなその時間に、思わずため息が溢れました。

 

そして静かに始まるパレード。元々とても好きな曲だったのですが、ライブで聴いて、エイミーの手紙を読んだ今、よりこの曲が好きになったように思います。
suisさんの柔らかくて温かい歌声に、ただただ聴き惚れていました。suisさんのみを囲うカーテンのような白い照明は、「一人ぼっちのパレード」を表していたのでしょうか。繊細で触れれば消えてしまいそうな、そんな雰囲気でした。

 

海底、月明かり。水の底に沈んでいく、冷たい音。そこに差す月の光。今まで何気なく聴いていたインストが、こんなにも意味を持つとは思っていませんでした。

 

suisさんがセットの階段に腰掛けて歌う、憂一乗。この曲はsuisさんの透明感のある歌声の真骨頂だと思います…。「ずっと、ずっと」と切ない声で繰り返す、その姿を見て涙が止まりませんでした。
「こんな自分ならいらない」からのパートは苦し紛れな声が混じって、楽器の音の重なりもあり、何かが心にグッと押し寄せてくるような感覚になりました。

 

『エルマ』のアルバムのラストを飾るノーチラス。もうここまでくると私の感情はグチャグチャで、泣きっぱなしでした。1番までは座っていたsuisさん、2番に入ると覚束ない足取りでステージのセンターに歩いて行きます。その姿が、私の目にはエルマにしか見えなかったのです。
この曲のストーリー性の強さが、余計に観客の心を奪っていくようでした。

 

「僕は深い海の底にいる」

Poetry-走馬灯-。海の底に沈んでいくエイミーが見た景色が映ります。

「そうか、ずっと見えていたこの光は、」

私たちがこれまでのライブで見た景色は

「長い夢を見ていたようなこの時間は、全ては、」

 

「僕の見る走馬灯か」

 

これは、海に沈んでいく彼が最期に見た一瞬の、走馬灯の物語。

 

 

ラストを飾る曲は、だから僕は音楽を辞めた。エイミーの感情を、suisさんが歌い上げ、バンドメンバーが音で表現する。作品の終わり方はこうあるべきなのだと言わんばかりに。
全てをかけたように、命を削るように歌うsuisさんは、あの瞬間、彼が憑依していたかのようでした。「間違ってないよな、」ラストのロングトーンはエイミーの、そしてエルマの叫び。
その後のパートは、歌うという表現では足りない。そして私は、あのときを言い表す言葉を持ち合わせていない。エルマとエイミーの、ヨルシカの物語を、全身に打ち付けられた感覚でした。

 

 

会場に響く拍手と共に舞台からはけていくバンドメンバー。そして最後の語り、Poetry-生まれ変わり-。エイミーが最期に考えるのは音楽と、エルマのこと。

「ちゃんと分かってくれるだろうか、…分かってくれないだろうな」

 

「今更だ。今更、君に会いたいと思った。」

「生まれ変わってでも、僕は君に会いに行かないと」

 

「僕は今、瞼の裏に光を見ている。夜しか照らさない夜明けにも似た光」
彼が彼女に見出した無謬の光がこの作品を生み出し、最期まで彼を照らす。

 

「薄く眩しく淡い光とはとても思えない」

 

「月光を。」

 

深く深くお辞儀をして別々の方向に歩いていくsuisさんとn-bunaさんの姿が、エルマとエイミーの姿に重なりました。
これはエルマとエイミーの物語でもあり、ヨルシカの物語でもあったのかもしれないです。
美しく儚い走馬灯、たった一瞬の物語。言葉如きでは語れない、素晴らしい作品でした。本当にありがとうございました。

 

最後に、誰もいなくなったステージに、ある映像が流れました。
海外から届いたある木箱を手にした少女。蓋を開けるとそこには、「エルマに」の文字が書かれた手紙。

 

物語はここでおしまい。ですが、家に帰り会場で手に入れた『だから僕は音楽を辞めた』のアルバムを開けて、真っ先にその文字が見えたとき、気がつくのです。

自分が、エルマと全く同じ動きをしていたことに。

 

f:id:daybreak_218:20220405004243j:image